ヤクザとキリスト「塀の中は、母の子宮だった」【元ヤクザ《生き直し》人生録】
【塀の中はワンダーランドVol.1】
◼️犯罪でしか自分の居場所が持てなかった
反省することなんてどこへやら彼らの多くは我が家に帰るのかのように、懲りずにまた何度も刑務所に舞い戻ってくる。
犯罪でしか自分の居場所が持てないからだ。ヤクザ者だと開き直ればそれまでの話だが、逆に言えば、塀の外のカタギの世界にも世間という常識の「塀」があるのだろう。だとしたら、刑務所もシャバ(一般社会)もみんな「塀」に囲まれているのだから住みにくいわけだ。
でも人が生きることは、どこかそんなルールや常識で収まりきらないほどの思いで存在していることも確かなのではないのかという疑問も感じる。
こうした疑問は、長い刑務所の中での読書体験でふつふつと湧き上がってきた。小学校中退のボクは読み書きが苦手で辞書を引きながら、わからない言葉をノートに書き出して、もうとっくの昔に亡くなった著者が書いた本と静かに対話しながら読み進める。次第に「自分とは何だろう?」「なぜ神様はいつも苦しくなったボクを助けてくれないのだろう?」と疑問が湧くほどに考えさせられてくる。
その答えが見つからないまま、ボクはシャバに出て、またシャブ(覚せい剤)をしこたま体に打ち込み、ムショ帰りを繰り返した。自分を救う神なんているわけがないと半ば諦(あきら)めていた。
◼️30年前のざわめき——懲役囚たちの声
あるとき、刑務所の食堂での昼休み時間、ボクは自分たちの話すざわめき声が、ちょうど押し入れの中に入って聞いた30年前のざわめきであったことを一瞬で悟(さと)ってしまう。体中が熱くなり、息が上がる。何かわからない自分自身と出会った気持ちだ。
このざわめきは、この塀の中の懲役囚たちの声だ、とわかったのだ。30年前のあのときの声は今この場所のざわめきだったのか。誰が教えてくれたのだろうか。何か大きな力がボクの心の中を叩(たた)いたような気がした。神なのか、でも、その力の主はボクに何も語りかけてはくれなかった。
最後に出所した札幌刑務所の門の前でボクは雪のチラつく空を見上げて思った。もう二度とクソ溜めには戻らない、と。
なぜそう思ったのかわからない。このとき、何かの力がボクの魂に触れた瞬間だったのかもしれない。
塀の中で仲間の死を通して、クスリをやめ、罪を犯すことも止めて出直そうと思っていたボクだったが、その後の生き方は昔と何も変わらなかった。人はそんなに簡単に変わるもんじゃないと思った。そんなボクは一本の電話であるとき教会に導かれていく。
その後、神を信じて受洗するが、ボクは神を裏切り続けていく。だがボクに見かねた神はある事件でボクを逮捕させてしまうのだ。悪の道から離れないボクに悔い改めを行わせようとしたのだろうか。
◼️ボクの方から神を引っ張り込んで会ってみよう
留置場のカビ臭い布団の中で夢の中に現れた神に助けられて初めて神と出会う。
このときからボクの方から神を引っ張り込んで会ってみようと思った。神に会って問いかけたいと思った。なんでボクみたいなぼんくら頭のヤクザな人間を生んだのか、その理由も知りたかったのだ。
聖書を読んでいても、礼拝に出ても答えは見つからない。ただひたすらに祈りを込めて、キリストを自分の前まで引っ張り続けたのだ。キリストは何も答えてくれないままだった。
でも何度も何度も祈りを続けると、なぜか自分を赦(ゆる)せるような気持ちになってきたのだ。
ボクが自分自身を裁くのをやめる。そんな気持ちに変わった気がしたのだ。具体的には無理して罪を犯していた自分に気づかされたのだ。
今思えば、不幸にも、不幸になることに対して自信過剰だったのではないか。そう気づいたとき、ボクはもうダメになる努力はやめようと思い、きっぱり悪事から足を洗い、真面目になろうとして、悔い改めた。亡き母との約束でもあり、何度も神様に助けてもらっていたからその義に報(むく)いるためでもあって、それが一番的を射ていた。自分の弱さと戦い続けた結果、40年間働いたことのないボクが、現在は建築現場で墨出し職人として働いている。何度も神を裏切り続けてきたボクを神さまはこうして憐れんで赦してくれたのだ。
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2020年5月27日
『塀の中のワンダーランド』
全国書店にて発売!
新規連載がはじまりました!《元》ヤクザでキリスト教徒《現》建設現場の「墨出し職人」さかはらじんの《生き直し》人生録。
「セーラー服と機関銃」ではありません!「塀の中の懲りない面々」ではありません!!
「塀の中」滞在時間としては人生の約3分の1。ハンパなく、スケールが大きいかもしれません。
絶望もがむしゃらに突き抜けた時、見えた希望の光!
「ヤクザとキリスト〜塀の中はワンダーランド〜」です。